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諏訪湖の「ヒシ」は何者か?

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2025年12月23日

諏訪湖の水生植物をまとめた古い文献として、中野(1914)による報告があります。彼は1911年の8月に1週間をかけて諏訪湖畔を歩き、諏訪湖の水生植物相を広く報告しました。その後、田中(1918)も諏訪湖の水質や地質的な特性などとともに植物相を報告しています。これらの文献を見ると、明治の終わりから大正の時期にも諏訪湖に「ヒシ」が生えていたことが分かります。しかし、「ヒシ」はあまり目立った植物ではなく、むしろ大量繁茂したイバラモ Najas marina (図1)が舟の櫓(ろ)にまとわりついて航行が困難であると記述されています(中野 1914)。今のように湖岸の広範囲におよぶ課題ではなかったようですが、種は違えども、諏訪湖では昔から水草の大量繁茂という課題はあったことがわかります。

図1.イバラモ(Najas marina
現在の諏訪湖では、あまり見られない種です。

それでは、過去にあまり目立たなかった「ヒシ」と現在諏訪湖にみられる「ヒシ」は同じなのでしょうか。田中(1918)の報告では諏訪湖には2本とげの「ヒシ」だけが見られたとの記述があります。そのため田中(1918)が観察した「ヒシ」はヒシTrapa japonica と推察されます。しかし、「ヒシ」は分類の鍵となる果実形態(果実のサイズととげの数・形状)が多様であり(Oniguma et al. 1996)、分類学的に複雑な立ち位置にいるグループです。日本国内に分布するヒシの仲間は、おもにその果実形態に基づいてヒシ Trapa japonica とオニビシ Trapa natans とヒメビシ Trapa incisa 、そしてトウビシ Trapa bispinosa とする分類体系が主流です。しかし、文献によって分類の仕方が異なり、国外では別の区分が使われることもあります(角野 2014;Lam et al. 2024)。また、ヒシの仲間では種間交雑の可能性も示唆されており、それがさらに分類を困難にさせています。

図2.諏訪湖の「ヒシ」の実
一番左の実は典型的なヒシの形をしており、一番右は典型的なオニビシの形をしていますが、とげの数に変異があり(2本、4本)、サイズにも大きな変異があります。

私たちが2024年度に諏訪湖のヒシ類調査をしたところ、2本とげのヒシ Trapa japonica の他にも、4本とげで大型のオニビシ Trapa natans も見られました(図2)。また、諏訪湖内の調査場所によってヒシTrapa japonica とオニビシTrapa natans それぞれの生育する割合が異なるような結果も得られています。加えて、諏訪湖にいるヒシの仲間2種は場所によって水面に葉が出る時期と枯れる時期がわずかにずれており、それぞれ生態的な特徴が異なることも想定されます。

こうした予備調査の結果を踏まえて、現在センターでは諏訪湖のヒシの仲間を対象にDNA解析と生態調査を進めています。目的は、調査場所によって果実形態の異なるヒシの仲間がどのような遺伝的背景をもっているのか、そして刈り取りによる攪乱やジュンサイハムシ Galerucella nipponensis など他の生物による被食といった撹乱に対する抵抗力、ヒシ Trapa japonica とオニビシ Trapa natans との間や別の水草と混生した際の種間競争の強さ、発芽する温度や時期といった生態的特徴に違いがないかを知ることです。こうした知見を、刈り取り場所や刈り取り時期の検討に活かすことで、自然に数が減っていきそうな場所での刈り取りを避けて省力化を計ったり、最も効果的な時期に刈り取りをしたりなど、大量繁茂したヒシの仲間に対して適切な対応ができると期待されます。諏訪湖の「ヒシ」が何者かを正確に知り、過去の文献と照らしながら、特定の生き物だけが極端に優占するのではなく、生物多様性に富んだ諏訪湖を目指して研究を進めていきたいと思います。

【引用文献】

  • 角野康郎(2014):日本の水草.文一総合出版,東京.
  • Lam, D.T. Kataoka, T. Yamagishi, H. Sun, G. Udatsu, T. Tanaka, K. and R. Ishikawa (2024): Origin of domesticated water chestnuts (Trapa bispinosa Roxb.) and genetic variation in wild water chestnuts. Ecology and Evolution, 14:e10925.
  • 中野治房(1914):日本湖沼植物生態(第二報)諏訪湖植物生態ニ就テ.植物学雑誌,28:127-132.
  • Oniguma, K. Takano, A. and Y. Kadono (1996): Karyomorphology of some Trapaceae in Japan. Acta Phylotaxonomica et Geobotanica, 47:47-52.
  • 田中阿歌麿(1918):湖沼學上より見たる諏訪湖の研究.岩波書店,東京.

執筆:谷野宏樹

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